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生徒さんをある程度診ていると、始めて数ヶ月の5、6歳のちびっこであれ、歴十年超の大学生であれ、同じポイントに不得意の原因が集まるのが面白い。
逆に、そこさえ克服すれば、次の段階に進めるのだろう。

身体的なもの、骨や筋肉は代用が効く。上達すればよりインナーマッスルが重要だ。しかし、歩き方であれ、ただの直立の姿勢でさえ、それなりに、万人皆、代用して生きている。
それは上達した立場からは見えてくるものだが。技術は無いなら無いなりに、皆「それっぽい」もので代用している。それで良いと思う。それを上手く誘導して、真に迫る世界に近付けていくのが、先に生まれた者の役割だろう。

しかし、
心、意志の発芽のようなもの(上手くなりたい、とか美しく弾きたい、とかいうような)は、代用の効くものは存在しない。
いくら「先生」であっても、そこは治せない。
「教え」という水のような流れがあるとして、私も含め、手を差し伸べて受け取ろうとしなければ、流れは素通りするだけで、留まることは無い。求める分だけを手に入れることができるのだ。

プラス、受け取りたい、という欲求があっても、流れに対して、手を差し伸べる自分に対しても、素直で健全な感覚で臨まなければ、自らを潤すことは出来ない。


教える、教わるのは縁だとも思うので、余計なお節介かも、と思いつつも
手を伸ばさない人や素直じゃない人には
「なんでそうなん?」と揺さぶりをかけるのは義務だと思っている。

そして、いつの頃からか、「先生」とは個人を指すのではなくなって、自分の身体も含めた自然の摂理総てに置き換わっていた。


自分でしか自分を救えない。

自分にも言い聞かせている。