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先人たちの心に残る言葉。音楽以外の分野篇。


《南州翁遺訓》西郷隆盛の言葉

 


聖賢に成らんと欲する志無く、古人の事跡を見、迚も企て及ばぬと云う様なる心ならば、戦に臨みて逃るより猶お卑怯なり。朱子も、白刃を見て逃る者はどうもならぬ、と云われたり。誠意を以て聖賢の書を読み、其の処分せられたる心を身に体し、心に験する修行致さず、唯か様の言、か様の事と云うのみを知りたるとも、何の詮無きもの也。予、今日人の論を聞くに、何程尤もに論ずる共、処分に心行き渡らず、唯、口舌の上のみならば少しも感ずる心之れ無し。真に其の処分有る人を見れば、実に感じ入る也。聖賢の書を空く読のみならば、譬えば人の剣術を傍観するも同じにて、少しも自分に得心出来ず、自分に得心出来ずば、万一立ち合えと申されし時、逃るより外有る間敷也。

 

己れに克つに、事々物々時に臨みて克つ様にては克ち得られぬなり。兼て気像を以て克ち居れよ、と也。

 

 

学に志す者、規模を宏大にせずば有る可からず。去りとて、唯此このみ偏倚すれば、或は身を修するに疎に成り行くゆえ、終始己に克ちて身を修する也。規模を宏大にして己れに克ち、男子は人を容れ、人に容れられては済まぬものと思えよ。

 

 

道は天地自然の物にして、人は之を行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也。

 

 

人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己れを尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ね可し。

 

 

己れを愛するは善からぬことの第一也。修業の出来ぬも、事の成らぬも、過(あやまち)を改むることの出来ぬも、功に伐り驕慢の生ずるも、皆な自ら愛するが為なれば、決して己れを愛せぬもの也。

 

 

過ちを改むるに、自ら過たとさえ思い付かば、夫れにて善し、其事をば棄て顧みず、直(ただち)に一歩踏出す可し。過を悔(お)しく思い、取繕わんとて心配するは、譬えば茶碗を割り、其の欠けを集め合せ見るも同にて、詮も無きこと也。

 

 

 

道を行うには尊卑貴賤の差別無し。

 

 

 

道を行う者は、固より困厄に逢うものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生托に、少しも関係せぬもの也。事には上手下手有り、物には出来る人、出来ざる人有るより、自然心を動かす人も有れ共、人は道を行うものゆえ、道を踏むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。故に只管(ひたす)ら、道を行い道を楽み、若し艱難に逢うて之を凌(しのが)んとならば、弥弥(いよいよ)道を行い道を楽む可し。予、壮年より艱難と云う艱難に罹りしゆえ、今はどんな事に出会う共動揺は致すまじ。夫れだけは仕合わせなり。

 

 

 

 

道を行う者は、天下挙(こぞ)って毀(そし)るも足らざるとせず、天下挙って誉(ほむ)るも足れりとせざるは、自ら信ずるの厚きが故也。其の工夫は韓文公が伯夷の頌を熟読して会得せよ。

 

 

 


勝新太郎の言葉




千里の道


 心ある、本当の道をめざす人間は、自分だけの道を歩かなくてはならない。

 あえて、今まで、誰もが歩かなかった道を歩かなければならない。

 千里の道を歩いていくなかで、心に芽生えた疑問、芽生えた愛、芽生えた醜さ、いとおしさ、いつくしみ、すべてを、自分だけにしか表現できないやり方で、表現しなくてはならない。

 それらを、心ゆくまで発酵させ、人々が長いこと見なれてきたものが、いかに退屈だったかを悟らせなければならない。そういう発表のチャンスを、自らの手で、作り出さなくてはならない。

 苦労して、発表したのだということを押しつけない、さりげなさをもたなくてはならない。

 俳優というものは、人間ではあるが、自らを売り出すための商品価値、生まれつきの自分自身とは違う、世間に認められる名前、商品価値を別に身につけなくてはならない。そして、最終的には自分自身をいちばんの商品価値にすることが真の稀少価値となるのである。どこかで作られたもの、誰かが作ったもの、ヒットしたもののイミテーションによって作られ、売り出されたものであってはならない。

 そんなものは商品価値にならない。歴史に名をとどめる価値にはならない。

 世間が、どんなにほめそやそうと、そんなものに溺れたら、いつか、自分の心が、自分が許せなくなり、イミテーションの価値の重荷に潰され、身を滅ぼす。

 だから、ひたすら、千里の道を歩き、見つけたものを発酵させ、発表していくほかは無い。

たとえ、世間すべてに、そっぽをむかれ、うぬぼれ者とそしられようと、自分自身に恥じない商品価値であり、それを身につけた俳優は本物である。

 俳優にとっての、最大、唯一つの観客とは、自分自身である。

 自分という観客が、認め、よしとするものは誰が何と言おうと、最大の価値なのである。

 その誇りを失わず、千里の道を歩きつづける人は、心ある本当の道をめざす俳優である。

 先人たちが歩いてきた峠、のぼりつめた頂上を越え、新たな、千里の道へ旅路につく人々のために、この道はある。