Hand

 

ただいま。夏は過ぎ、松本での一週間もあーっという間に終わってしまいました。

一抹の寂しさ。

夏休み中の子どものように、毎日バッサバッサ羽を広げて自由を楽しんできました。

 

 

向こうでは、数年前に知り合い、いつもあちらに在留中細々と面倒を見て頂いている松本のYさまご夫妻に一年ぶりに再会して、

「なんか、慎子さん、貫禄がでてきた」と嬉しいお言葉を頂きましたが

(それは決して、太ったね、っていう意味じゃないことを願いたい…)

昨年の秋から、私を囲む状況は、かなり変化したと自分でも思います。

 

チャリティー活動を通して「音楽の価値」について考えることであったり、自分を頼ってくれる生徒さんたち、面倒を見てあげなければいけない人たち(それも自分にとっては多すぎるほどの数)の存在がかなり大きく、

ついに!私の人生の船もとうとう!!動き出しているのかもしれません。期待を込めて。

 

 

 

帰ってきたら、ピーチクパーチク、餌をねだるヒヨドリの世話に追われるように

学校に、レッスンに、京都に、と慌ただしいですが

たった一週間で「先生がいないと寂しいです」なんて、可愛いことを言ってもらえると

ああ、もうしゃーないな。めんど、みたんなあかん(大阪弁)と思う単純者。

 

 

 

 

 

松本では、ピアノの内田光子さんと小澤征爾さんとの共演に参加するために行ったのですが、なんと内田さんの「オーケストラが大き過ぎます」との鶴の一声で、なんと降り番になってしまいました。

 

だけれど、それが私にはすごくビタミン剤のように効きました☆

しばらく自分の音楽(バッハ)を弾いたり、生徒さんを教えたり、音楽をアウトプットすることが多くて、逆に音楽をインプットすることに飢えていたから。

それにオザワフェスティバル前日まで学生コンクールの審査員などをしていたので、耳が、頭がかなり疲れていて、より「単純に美しい音楽」に異常に飢えていたんだと思います!!!

 

 

練習も全部客席で聞けたし、本番の日の内田さんの独りでのウォーミングアップもストーカーのように聴きました。どうやって調子を整えるのか、クールダウンしたものをどうやって取り出すのか? とか、とても興味があったから。

内田さんの自分の内面の音楽への純度をかなり高めてからの、本番での心の扉の開き方には、本当に感動しました。

何のために音楽をするのか、という最も根本的な姿勢が、本当にふとした時に舞台で見えたり、聴こえたりするのが面白いし、自分が普段は舞台に乗る側であるので、それが怖いとも思う。

 

また、管楽器のスーパースターたちが、日々楽器の練習だけじゃなくて、身体のトレーニングをする意味もわかるような気がしたし、

全部が聞こえている。舞台は正直だな、と思いました。

 

 

自分の身に振り替えて、頑張ろうと思います。

 

 

そして。こちらで待っててくれた生徒さんたち。

出産も子育てもしたことのない私が、各々いろんな状況や環境を背負う青年たちの精神的な健康を、果たして担えきれるかどうか。。どうかな。 あはは

 

しかし、一旦やり始めたことは、簡単にぽいっと棄てられるものではない。

心身を尽くして自分のベストを尽くそうと思う。